日本の成立ちを考える ~桜井~

前回、私の趣味は1つと書きましたが、
よくよく考えるといろいろありました(笑)
キングス応援やら、、手を動かして何か作りたいとか。。
嘘ついてました。すみませんっ。
(心底どうでもいい嘘です)

おばんどす!
みさこどす。
今回の写真も全てOLYMPUS Tough STYLUS TG-2です。

前回の出雲大社の記事が思いのほか評判でした。
あの記事、書くまでにかなりの時間を費やしたので
実はかなり嬉しかったです・・・。
(思い入れもあったので)
感想をくださった方々、ありがとうございました!!

邪馬台国と奈良(沢山ある説のうち、私の大好きな説)

調子にのって、今回は奈良県桜井市編です。
日本の成立ちを考えるうえで、倭(やまと)国というのは切っても切れません。
世の中にはいろんな説が沢山ありますが、
魏志倭人伝は、倭の国の人々から伝え聞いたものを
その国の文字(漢字)に置き換えたものかという説が好きです。
その説でいえば、
邪馬台国=やまとこく =大和朝廷
卑弥呼=ひめみこ=女帝・もしくは今でいう神職の人
を指すのではなかろうかと。。
この当時、古代の神様や各国王の姫は○○ヒメノミコトと呼ばれていたと思われます。
例)天照大神のご神体を奈良から伊勢に持って行った人は倭姫命(ヤマトヒメノミコトです)

大和朝廷は昔、九州にある小さな国でした。(←魏志倭人伝の頃)
魏志倭人伝の邪馬台国が倭国(やまとこく)なのであれば、
九州にいる頃から大きい国だったことがわかります。
(沢山あった小さな国を全て管理していた国とのことなので)

九州の倭国の方々が、はるばる奈良へやってきて各地を征服。
そして、地域を広げながら都を定めます(大和王朝のできあがり)。
奈良(桜井→明日香→桜井
大阪(樟葉)
京都南(京田辺(私の街!)→長岡京)
再び奈良(桜井→樫原→桜井→明日香)
場所不明
再び奈良(桜井→・・・・・)
めっちゃ飛んで今東京。

となっております。
大和朝廷が九州より東にやってきて(各国を統一しだして)最初に建てた宮は
現在の奈良県桜井市にあるんです。

とりあえず、言いたいことは、、
上記理由なので、そうめんの発祥地、奈良県桜井市を探索してきました!
(街を歩くと至る所に三輪そうめんの看板があります♪)

 

大和王朝に大事にされた3つの神社

記紀(古事記&日本書紀)には
大和王朝の天皇&皇子&姫たちがこぞって通った場所があります。
それが、現在の「大神神社(おおみわじんじゃ)」「石上神宮(いそのかみじんぐう)」「大和神社(おおやまとじんじゃ)」です。

この3社、2014年1月2日に初詣に行ってきました!
バカでした。混んでました。疲れました。
母と2人で行ったので、あまり歴史探索的なこともせず、ただのお参りでした(笑)
なのであまり写真がないです。

 

古代の信仰が今に残る大神神社

現世(?)と森の中間にある二の鳥居 三が日は混み過ぎていたので、改めてお参りに行きました。

現世(?)と神域の中間にある二の鳥居
三が日は混み過ぎていたので、7日に改めてお参りに行きました。

科学が発展していない古代日本。
自然を恐れ敬い生活していたと思われます。
嵐がおきては神がお怒りだ!疫病が流行ったら誰それの霊のせいだ!
今年は神様のお蔭で実りがよかった!神様のおかげで今日も生きてられる!
とこんな感じです。

人々は自然を奉り始め、神と崇めたと想像できます。
信仰の対象となるものをご神体と言うのですが、
昔は岩や山などの自然物でした。
現在多くの神社のご神体が鏡なのは、目には映らない物を映すもの=鏡だったのでしょう。
鏡が流行ってからは、ご神体の神様を鏡に移っていただき、
お祭りしていのだと思われます。

現在の奈良県にいらした人々は祀り上げたものが「三輪山」なのです。

大神神社一の鳥居。後ろにある山がご神体である三輪山。(写真はwikipedeiaから) この鳥居、32メートルもあります。マグニチュード10の地震にも耐えれるそうな。

奈良県桜井市にある大神神社一の鳥居。後ろにある山がご神体である三輪山。(写真はwikipedeiaから)
この鳥居、32メートルもあります。マグニチュード10の地震にも耐えれるそうな。

何かがあると、必ずお参りされていたといいますから、大事にされていたんだと思われます。

そこに元々住んでいた人々は神社という建物?神域?ができるまで
自分の位置から見える「三輪山」を崇拝していたのではないでしょうか。
(富士山崇拝に近いかもしれません)

その後、大国主率いる出雲王朝が三輪付近も征服(おそらく力封じではないと思われる)
そして、大物主という神様を三輪山にお祀りします。
その後大和王朝などの風習等々が入ってきて、今の神社の形式になったのかと思います。

大神神社拝殿。 拝殿奥に本殿があるのが一般的ですが、ご神体が山なので、ありません。

1月2日の大神神社拝殿。
拝殿奥に本殿があるのが一般的ですが、ご神体が山なので、ありません。

かなり立派な拝殿です。
実はこの建物は西暦1600年頃に徳川四代将軍家綱公によって再建されました。
恐らく、それまでは三つ鳥居と小さな拝殿があったんだと思われます。
(それで十分だったんです。お社は作れないですから。ご神体は三輪山なんですから!)

信仰としては奈良の大和王朝イチ古い(とされている)のですが、
神社としての建物は結構新しい。
それが「みわさん」と親しまれている大和国の一之宮、現在の大神神社なのです。

大きな神様(三輪山)の近くには
沢山の神様が集い、今の大神神社になっています。
恐らくどこでお祈りしたらうまくいっただとか
小さな村ごとのお祭りがどこで行われたとか
で、小さな信仰が生まれ、今に至ったのではないでしょうか。

 

古事記&日本書紀に幾度となくでてくる三輪山

大国主の国造りの象徴として
国譲りが行われる前の話です。(紀元前2世紀??)
大国主は少彦名(スクナヒコ)と共に国を造ろうとしました。
ここでいう「国」とは、土地の拡大ではなく、人々の生活を保障する単位だったようです。
ところが、道半ばにして少彦名はお亡くなりになりました。途方にくれる大国主。
その時、手を差し伸べたのが大物主という神。
大国主が眠っていると、夢に出てきた白蛇(大物主)がいいました。
「私を奈良県桜井市にある三輪山に奉りなさい。そうすればうまくいきます」
んで、大国主はその通りにすると、「国」が出来上がりました。
※倭国ではありません。出雲王朝です。
九州:倭国(大和王朝支配)、西日本:出雲王朝支配 という感じでしょうか
そしてこの頃、この地域は「出雲」と呼ばれていたような気がします。
(現在は桜井市三輪、桜井市出雲という地区になっていますが)

疫病を鎮めるための御祈願として
国譲り後、東へ東へと攻めた大和王朝。
(たぶん力での支配。この時代頃の武器が発掘されますがその前はないので)
最初の天皇とされる崇神天皇時代、疫病の流行で混乱を極めた際、
御諸山(現:三輪山)にお供えをして国家安泰を祈願しました。
するとその後疫病は去り平穏になり、国が富みはじめました。

王位後継者決定にも使った。
崇神天皇は2人の息子どちらに王位を渡すか悩んだ際、
皇子たちに御諸山(現:三輪山)に上らせ、どのような夢を見たかで決めました。
稲穂を食べてしまう害鳥を追い払う夢を見た弟を次の天皇としました。
東に向かい闘った夢を見た兄は、東の国への討伐に向かわせました。

他にも沢山あるようです。
とりあえず、何かあると三輪山です。
天武天皇の奥様である額田王も
三輪山をずっと見ていたいのに他の山や雲が邪魔して見えなくなるの。。
と詠ってます。
当時の首都は滋賀県大津市、もしくは奈良県明日香です。
どちらも三輪山が見えません。
幾度となく足を運び、後ろ髪ひかれながら宮に帰って行ったのでしょう。

さてさて、気になりませんか?出雲系の神様がそのまま奉られているんです。
(出雲王朝ができる際に必要になった神様であるから)
大物主=大国主ともよく言われていますが、全く別物だと思います。
大国主:実際に存在した、出雲王朝何代目かの王。
大物主:大国主の心の中にあるヒーロー ⇒ 朝廷を含む全ての人々の心の支え
となっていきました。

 

古代から続いているであろう風習

よく知られていることではありますが、
「酒」というものは、その昔、酔うことで通常と違う状態になり、
神と交信ができるようになると考えられていたため、
お酒はとても神聖な飲み物でした。
神に仕える巫女のみが造ることを許されるものでした。
そしてその風習が、新酒ができたら神に供えるというものにかわっていきました。
(作ったお酒を巫女がまず神にお供えするため)

大和王朝きっての大事な神様である大神神社付近では
みんなこぞってお酒を造ったのでしょう。
(神様に祈りをする、もしくは感謝するため)
現在でも沢山の酒蔵が奈良県には存在します。

その流れのまま、大神神社は、日本酒の神様と崇められ、
全国の酒蔵から新酒が奉納される神社として有名です。

酒蔵は新酒を大物主に奉納し、
そのお返しに(?)大神神社から杉玉(酒林とも言われるそうです)をいただきます。
そして、それを吊るすことで、人々に新酒ができたことを伝えていました。
これが「くすだま」の起源です。

大神神社に奉納されたお酒たち。 写真はこちらから頂戴しました。「http://ameblo.jp/petittrain/entry-10456827882.html」

大神神社に奉納されたお酒たち。上の丸いのが杉玉。
写真はこちらから頂戴しました。「http://ameblo.jp/petittrain/entry-10456827882.html」

11月には酒まつりがおこなわれ、
全国のお酒が奉納&全国の杜氏たちが集まり、
醸造の安全等々を御祈願されるそうです。

境内ではその際に奉納されたお酒がふるまわれるそうです。
お酒好きの方々は是非(^^)
んで、神様にお祈りすると通じやすくなるかもですよ♪

ちょっとした雑学ですが、
ご拝殿の中には三つ鳥居という国宝が眠っています。
(外からは見えません)
お酒の会社、「サントリー」さんの名前はここからもらったようですよ(^^)

 

実際にご参拝。

二の鳥居をくぐります。
どこの鳥居でもそうですが、なるべく真ん中は通らないようにします。
そして、通る前にはご神体に向かってお辞儀をします。

二の鳥居にはご祭神「三輪明神」の文字。

二の鳥居にはご祭神「三輪明神」の文字。

祓社で穢れを祓い
手水舎で身を清めます。

手水舎。大物主の御姿である蛇。 右手で柄杓を持ち、左手を洗い、逆に持ち替え右手を洗い、最後に持ち替えて左手に水をためて口をゆすぎます。 残った水は捨てましょう。

手水舎。大物主の御姿である蛇。
右手で柄杓を持ち、左手を洗い、逆に持ち替え右手を洗い、最後に持ち替えて左手に水をためて口をゆすぎます。
残った水は捨てましょう。

拝殿に向かうまで上ります。 しめ縄の鳥居は三輪さんの特徴です。

拝殿に向かうまで上ります。
しめ縄の鳥居は三輪さんの特徴です。

やっと拝殿へ到着! (1月7日夕方には随分空いていました)

やっと拝殿へ到着!
(1月7日夕方には随分空いていました)

本殿でお参りしたら、摂社もお参りします。
本殿並に有名な摂社があります。

お薬・書道で有名な狭井神社へ。
ご祭神は「大神荒魂神」。つまり三輪明神(大物主)の荒ぶる魂です。
神様にも人間と同じように表と裏の顔・力があります。
力の強い神様の場合、これを分けてお奉りします。
和魂(にぎみたま。ご利益をくださる神様。大神神社の場合は三輪山)と
荒魂(あらみたま。神様の裏の顔みたいなもの。怒りをおさめていただくのはこちら。)

伊勢神宮も内宮(天照大神)・外宮(豊受大神)の正宮のどちらも荒魂は別で奉られています。
分けて奉られている場合はどちらか一方だけでなく、必ず両方お参りしてください。

狭井神社の鳥居

狭井神社の鳥居

みさこの母上は書道の先生なので、こちらでご神水をいただき、書初めに使います。
(このご神水で習字をすると字が綺麗になるとか)

昔はこのご神水を使ってお薬やお酒を造っていたんだそうです。
なので、今でも製薬会社はこの神社を大事にされているそうです。
(名だたる製薬会社の名前が書かれた灯篭が沢山あります)

そして、とってもとっても賢かった少彦名(スクナヒコナ)をお祭りする磐座神社へ。

磐座神社。 とても賢かった神様とされています。この近辺の受験生の聖地になっています。

磐座神社。
とても賢かった神様とされています。この近辺の受験生の聖地になっています。

境内は小高い丘の上にあり、桜井市の街並みが見渡せます。
先程も記述しましたが、少彦名は、大国主と一緒に国造りを行った人(神)です。
もしかすると、大国主は少彦名に自分が造る国を見てほしかったのかもしれません。

そして、大神神社の境内ではありませんが、
近くには、こんな神社があります。

元伊勢の檜原神社。 元々、伊勢神宮のご神体はこの神社でお祭りしていました。

元伊勢の檜原神社。
元々、伊勢神宮のご神体はこの神社でお祭りしていました。

なにゆえ伊勢神宮のご神体が桜井市から伊勢市に遷宮(=神様のお引越し)されたのか、
それはまた今度(^^)

 
こんな誰得記事、、最後までありがとうございました!
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そろそろパラオ行の準備しなきゃっ
みさこでした。

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