日本の成立ちを考える ~出雲~

私の唯一の趣味、歴史探索。
2012年、2013年は手術のため早期帰郷で歴史探索の時間がありましたが、
来年からはどうなんだろう。。
できるだけ時間をあけてやりたいものだ。。

おばんどす!
みさこどす。
今回の写真も全てOLYMPUS Tough STYLUS TG-2です。

むか~し、ヒメと出会った頃購入した本に
「あなたは具体的に『日本』という国がいつ始まったのか言えますか?」
と書いてありました。
答えるには歴史を知らなさすぎるのですが、、
まぁ一例には「神武天皇の即位」だとか
「国譲りが行われた時」だとか
「日本という言葉が国として最初に使われた天武天皇時代(だったと思う)」だとか
「邪馬台国ができた頃から」だとか、、
まぁ、歴史の長い国なので、いろんな答えがあるとは思います。

成立ちの日を私の意見として言うことは難しいので、
それを考える旅にでてみました。

まずは出雲王朝という国があったかもしれない土地へ。
古事記&日本書紀(以後、両方を指す場合は「記紀」とします)では
幾度も出てくる「出雲」という言葉。
伊勢神宮の存在する地よりもずっと多くの物語が語られているようです。

車や電車やバスを乗り換えてながら出雲大社(おおやしろと読みます)へ行ってきました♪
私が考えるに、日本で最初に建てられた神社です。

バスに乗ったまま、一の鳥居を過ぎ、
正月のために少し手前で下され、出雲大社へ向かいます。

出雲大社が見えてきました!

出雲大社が見えてきました!後ろの山も出雲大社の神域です。

早朝にもかかわらず、一人でテンションアゲアゲです。

早朝にもかかわらず、一人でテンションアゲアゲです。

まず拝殿に行く前に必ずすることがあります。
1.祓社で穢れを祓い、
2.手水舎で身を清める。
これでやっと神様に近づけるわけです。

この出雲大社ですが、
普通の神社とはいろいろ異なります。
1.二の鳥居をくぐった後、下り坂になる(普通は上り坂)。
2.出雲派最上の神社である。
-伊勢神宮を最上の神社とする伊勢派(95%)とは異なる
-お参りの仕方が異なる
-出雲大社教という宗教が管理している。

ご拝殿が坂の下にある理由は、
「へりくだる」ということを参拝者に伝えることだとも言われていますが、
古代の出雲大社はなんと約100メートルあったそうです。
もしかすると、坂の上からでも、実は神様を見上げる必要があったのかもしれません。
↑私の想像ですが。

 

出雲大社の歴史(記紀&近代史)

 

出雲大社の成立ち(国譲り)

神々が高天原(神々の住む場所)にいる時代、
地上に先に降りていたスサノオノミコト一族。
急に高天原の神様が、当時の地上の領主(?)大国主(オオクニヌシノミコト)に
地上を渡せ!と強気にでます。
大国主は地上の管理を高天原の神々に渡さざるを得ない状況になり、
いくつかの条件と交換で地上を明け渡します。
・出雲の地以外は高天原に明け渡す。(出雲は大国主が管理)
・天と同様の宮殿を大国主が住むために建ててること。(今の出雲大社の原型)

国譲りというよりも、奪われた感じがうすうすと感じられます。。
いろんな説がありますが、
私は大和王朝とは異なる王朝が存在し(仮に出雲王朝とします)、大和王朝の侵略を受け、
玉座:大和王朝に明け渡す
政治(まつりごと=宗教で国民を動かす):出雲王朝が行った
のではないかと思っています(全国で祭られているのは大国主側の神様の方が断然多いから)

神話から考えると
出雲大社造営は紀元前200年くらいというから驚きっ!!

しかも、造営当時は96メートル、その後は48メートルだったというからこれまた驚きです。
これは神話の世界だろう・・・と思われていたのですが、
なんと西暦2000年に驚くべき発見が!
48メートルのお社を建てても問題ないと思われる柱が見つかったのです。
ぶっとい3本の柱をまとめ、1つの柱としていました。

出雲大社本殿心御柱発見時

出雲大社本殿心御柱発見時。写真は島根県立古代出雲歴史館HPから。

しかも、今の出雲大社の本殿のすぐ近くに!!

この赤い丸3つが柱。

赤い丸3つが1つの柱です。ご本殿へ向かう階段で見つかりました。

昔から大社の場所が移動していない何よりの証拠です。

1本の柱の太さは私の大股4歩。(直径3.6メートル以上だそうな)
めっちゃ太い!

とっても大きかった!!

とっても大きかった!!

昔の想像はこんな感じらしい。

復元予想図。 http://minkara.carview.co.jp/userid/345760/blog/19852955/から頂戴いたしました。

復元予想図。見つかったのは柱4本。地図にはあと5本あるが、他のお社等々があるのでもう発掘できないとのこと。
絵はhttp://minkara.carview.co.jp/userid/345760/blog/19852955/から頂戴いたしました。

奈良の大仏殿よりも高いというから、本当にびっくり。
48メートルがあり得るなら、その前の96メートルにも信憑性が高まります。

ちなみに、現在の高さは24メートル(だったかな?)。
なぜどんどん低くなっているのかと資料館に尋ねたところ、
高く造営できるだけの柱がなくなっていったと考えられるとのことでした。
現在の高さになったのは平安~鎌倉時代とのことです。
(さまざまな歴史資料からわかるそうな)

 

明治政府の決定で出雲大社がお怒りに!

そして時代は流れ、明治時代。
明治政府、神社に対していろいろやってくれました。
ご祭神が同じ神社の名前を統一したり、
神社の数を減らしたり
お祀りする神様の順序をつけてみたり、
神社への参拝方法を統一に決めてみたり。
(二礼二拝一礼はここで決まりました。それまでは神社毎に違ったとか。)

出雲派といわれる方々をイチバン怒らせたであろう内容が、
「八百の神は全て(※)天照大神(伊勢神宮)の臣下とする」という決定です。
※最初に高天原に現れた3柱を除く

それまでは神様に上下関係はなく、大事にされてきました。
出雲大社としては、天照大神を含む4柱を最上とするのならば、
国を造った(大和王朝に譲りましたが)神様(=大国主命)も入れるべきだとの主張します。
ほとんどの神社が出雲側になびいたものの、
(10月には全神様が出雲の神(=大国主)に会いに行くんですから当然な気がします)
明治政府はごり押ししてしまったようです。

納得のいかなかった当時の出雲大社の宮司さんは新たに「出雲大社教」という宗教を作り
(他の神様の臣下としてではなく)大国主をお祀りしたそうです。

その結果、明治政府は大国主から続いた子孫である北島家、千家家(せんげけ)の方々を
出雲大社から遠ざけました。
現在は昭和26年に千家の方々が出雲大社に戻られ、代々出雲大社の宮司をされています。

現在の宮司、千家尊祐さん(右側)

現在の宮司、千家尊祐さん(右側) 写真は出雲大社内に展示されていたものを写真撮りました。

先日、宮司(=出雲国造)の千家尊祐さんに本当に偶然、お話する機会を得ることができました。
その際、おっしゃっていたのが、
「伊勢神宮は20年毎に建物を一新できるが、
出雲大社は国宝にされてしまったから修繕しかできない」と教えてくださいました。
優しい言葉で話してくださいましたが、長年の怒りが露わになってるように感じました。
その他もいろいろな話を聞かせてくださいました。
正月でお忙しい中、私だけに時間を割いてくださって、、、
本当に感激でした(その方がどなたかわかってからですが。。)

 

実際にご参拝。

参道はこんな感じ。

昔は神職の方のみが真ん中を通れました。 今は松の木保存のためという名目で禁止しています。

昔は神職の方のみが真ん中を通れました。
今は松の木保存のためという名目で禁止しています。

現在は参道横が野原になっていますが、
昔は神様のお食事を作るための畑が広がっていました。
今でも朝晩、神様にお供えしているそうです。
(現在は地元で採れた野菜&海産物だそうです)

ちゃんと舗装された端っこを通ってくださいね

ちゃんと舗装された端っこを通ってくださいね

さて、やっと参拝です。

現在、ご神体がいらっしゃる拝殿 一般的には鏡がご神体ですが、出雲大社のは何なのか発表されていません。

まずは正面から参拝します。ちなみに、現在はこちらがご神体がいらっしゃる拝殿
一般的には鏡がご神体ですが、出雲大社のは何なのか発表されていません。

参拝方法は2礼4拝1礼です。

普通の神社であればこれで終了なのですが、
出雲大社のご神体は横を向いているのです。
なので、拝殿横(神様の正面)からも参拝するのが習わしです。

ちゃんと横にも参拝場所が。

ちゃんと横にも参拝場所が。(写真真ん中の白いテント)

その後、再度正面からお参りし、
いろんな神様にご挨拶。

大国主命のお爺さん。素戔嗚尊。

大国主命の義理のお父さん。素戔嗚尊。

修繕のため、全ての神様は仮のお社に鎮座されています。

出雲大社は、神話、歴史、その存在もさることながら
この立派なしめ縄も見逃せないイチザイです♪

現在、ご神体がいらっしゃる拝殿 一般的には鏡がご神体ですが、出雲大社のは何なのか発表されていません。

有名な大しめ縄。ここにお金を挟んではいけませんっ!

立派です。
守っていきたいものです(^^)

 

その他の見どころ考えどころ

出雲さんにはその他沢山の見どころや考えどころがあります。
箇条書き+前述内容ありですが、行かれる際には是非見て感じて考えてきてください。

・二の鳥居後の参道は下り坂
・本殿のお社は日本で一番高い(現在でも)
・大社造という建築技術である(柱は本殿外から見えない造りです。)
   ⇒伊勢神宮に代表される神明造は柱がどどーんと見えます。
・宮司さんの写真を見てわかるように、柱であろうがなかろうが、つぎはぎだらけです。(修繕だから)
・ご神体が不明(公開されていない。が、かなり重量のあるものらしいとの噂)である
   ⇒伊勢神宮は天照大神が自分だと思って離さず持ておけと言った鏡。
    出雲大社は元々大国主が住んでいた場所のため、そういうものがない?
・周辺にある古い古墳は頭のないカメ(甲羅+手足)のような形をしている。
   ⇒出雲王朝の古墳だと考えられる。大和王朝のは前方後円墳など。
・八雲立つ なのに、本殿天井絵は七雲(資料館で見ることができます)
・願開船の話(実際に船は神社に残っています)
   ⇒重い病気にかかってしまった高知県の志和九郎左衛門さん。
    病気が治りますようにと出雲大社に祈願すると、すっかり治ったそうです。
    そのお礼にお参り。。ということが叶わなかったため、地元の川から
    お賽銭を乗せた小舟を流しました。
    それがちゃんとお賽銭ごと、出雲大社に届いたというお話です。
    恐らく、善意の方々のリレーがあったのだろうということです。(古代の日本らしいお話です)
    志和九郎左衛門さんのご子息は未だに元気にいらっしゃっているそうです。
・毎年10月は出雲国の方々は音を立てないように生活されていたそうです(土木作業はしない、料理もしないetc)
・できればレンタカーで付近を周りたい
   ⇒国譲りが行われた場所(砂浜)や、古墳、そして様々な神社を回りたい(私の希望)
    考古学者も度肝を抜かれた出土品を展示している場所に行きたい。。。(日本最大の量なんです)
・なぜ雪の積もるような寒い日本海に?
   ⇒噂では古代はもう少し暖かかったそうです。
    他国の技術は日本海からもたらされたことを考えると不思議ではない(by 資料館館長)
・明治政府に負けなかった神社としての誇り(今でも残る古代の風習)

 

参拝後の観光

参拝が終わったらおいしい出雲そばを食し、
ダイハツカスタムのCMにでている、アクセルべたぶみをしなきゃ走れない坂を通り

ベタブミ坂。全然ベタブミしなくてもいいらしい。

ベタブミ坂。全然ベタブミしなくてもいいらしい。

鬼太郎と戯れてきました♪

握手を求めてくるねずみ男

握手を求めてくるねずみ男

目玉のおやじのてっぺんまで7.7メートルな鬼太郎

目玉のおやじのてっぺんまで7.7メートルな鬼太郎

超楽しみました!!

歴史を肌で感じることができた出雲大社。
まだまだ行きたい場所があります。
・国譲りが行われたという場所
・素戔嗚が生まれたとされる場所(神社になっているらしい)
などなど。。
古事記の1/3は出雲の話と言われます。
興味がつきませんっ!!
こんな誰得記事、、最後までありがとうございました!
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みさこでした。

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